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鎮魂 [悼み]

あれから5年。

あんなに大きな災害と、あんなに大きな事故が起きたのに、正反対に進もうとしている国に落胆している。

「日本死ね!」と言いたい気持ちもよくわかる。

そこまで言われてもわからないでいる人たちの顔をテレビで見て、ウンザリする毎日。

政治家でも役人でもない一般人が一人ひとり、コツコツとやっていくしかないんだ。



今日は鎮魂の日。

ただただ祈ります。



ささやかながら [悼み]

ネパールで起きた地震災害に心を痛めております。

ネパールに暮らす人々はもちろんですが、チベットのことが気になって仕方がありません。

あまり報道がされないので、地震が起きた当初はCNNばかり見ていました。

そしてようやく昨日あたりから、隣国のことなども報道され始め、やはり被害が出ていることを知りました。

(「中国チベット自治区」と表記されるのには、腹立たしさを覚えます)。



ともあれ、多くの人が救出されますようにと祈るばかりです。

ささやかですが、日本赤十字社への寄付も済ませました。

(なぜ日本赤十字社かというと、スケールメリットを考えてのこと。それ以上のことは考えていません)。

亡くなられた方へご冥福を祈るとともに、被災された方々にはお見舞い申し上げます。


そして、祈りを。

Pray for Nepal.
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やっぱり地球は怒ってはる……。

祈り [悼み]

4年前の3月11日もこんな天気のいい日だった。

風が冷たくて、乾燥していて、太陽がまぶしくて。

息を切らしながら、自転車をこいで、仕事を終えて帰ってきて、遅いお昼ご飯を食べているときにそれは起こった。

揺れはどんどん大きくなって、長い時間揺れて、家の中のものはほとんど倒れることはなかったけど。

その後、さまざまな報道に接して、恐怖心だけが残った。

その恐怖心は今も変わらない。

地震も、津波も、原発事故も。

広島や長崎の原爆があってつらい思いをしたのに、福島の原発の事故も起こって大変な思いをしているのに、それなのにどうして原子力発電をやめようとしないのか。

バカなんじゃないかと思う。

本当にバカなんじゃないのか。



お金や物を残す前に、人がいなくなったらどうするんだ。すべて人のために行っていくことを考えれば、原発をやめると考えるのが当然のことだ。

人がいなくなったら元も子もない。

何もかも。



東日本大震災で犠牲になられた方々は身をもって示してくれた。

被災された方々もいまなお実感していること。


亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。







ただただ平和であってほしいだけなのにね。


20年 [悼み]

20年経った。

私も年をとるわけだ。

頑張ろう、とか、前を向こう、とか、被災した人たちに向けて、そんな言葉を投げかける気はさらさらなく、黙って見守るしかないと思ってきた。

支えられるのであれば、支えることを考えようと思ってきた。

頑張る必要はない。

生きてさえいれば、何とかなる。



阪神淡路大震災で命を落とされた方々の、ご冥福をお祈りいたします。






長浜人形.jpg

この招き猫は、島根の長浜人形だそうです。

無印良品の福缶から、この子が出てきました。

土人形好き、猫好きにはありがたい人形。


日本に、世界に、福が訪れますように。

2時46分 [悼み]

まだ何も変わっていないと思う。

もう本当に怒ってもいいのではないか。

景気がよくなろうが、消費税がアップされようが、東京オリンピックで浮かれようが、いいと思うことが一つもない。

さっぱり復興が進まないこと、脱原発も進まないこと。一体、何が変わったんだろうか。

本質が全く変わっていないことに愕然とするだけだ。



多くの国民から吸い上げている復興税はどのように使われているのか。

何でまだ更地が広がっているんだろうか。



どんなにない頭で想像したって、原発がいいものだとは思えない。

どの面下げて原発を推進しようと言えるのか。


政治家の作ったマニフェストなんて信用できないし、官僚の作った将来の青写真なんてさっぱりわからない。

ずるずると自分たちのいいように変化させるこの人たちの、頭の中をシェイクして、泥や垢を洗い流してしまいたいものだ。




惜しくも命を落としてしまった方々のご冥福をお祈りします。

被害に遭われ、いまも避難生活を送られている方、家に帰れない方、傷を負った方に、お見舞い申し上げます。







くっそ、私は怒っているよ。

今年も [悼み]

19年経ちました。

もう阪神淡路大震災を知らない人も増えてきているようです。

私は勤めていた会社をちょうど辞めた頃で、その日は失業保険の申請のためにハローワークへ行く日でした。

京都在住でしたので、激しい揺れといっても震度5強。いま住んでいる場所で経験した、東日本大震災の時と同じ強さの揺れでした。

でも初めての大きな揺れを経験し、その後に報道される震災の状況を見るにつけ、恐怖心が次第に強くなり、非日常の中に放り込まれたような気がしていました。

震源地に近い被災地に比べれば、大したことはなく、震災後は全く問題なく日常生活を送っていたにもかかわらず。

だけど、あの時の近畿地方のTVは、何ヶ月にもわたってCMの流れない震災関係の番組を流し続け、震災色一色。

この間、一度名古屋まで遊びに行ったことがありましたが、名古屋では全く普通のTV番組が放送されていて、ずいぶんと驚いたことを思い出します。

関西とは温度差があると。

その後、東日本大震災が起きて、同じことを関西でも感じました。

震災の話をしようとすると、関西では「阪神淡路大震災」が震災で、東日本大震災は震災ではなく、あくまでも「東日本大震災」。

震災というと「阪神淡路」になるのでした。

同じ国内でも、こうも違ってくるのだなと、両方の震災を経験して感じたことです。


心を痛めるのは同じだと思いますが、距離と時間は反比例しているのかもしれません。

震源地までの距離が長いほど忘れる時間は短い。遠いほど早く忘れる。

もちろん印象の持ち方、たとえば被災者に親戚がいるとか、知り合いがいるとかで異なるとは思いますが。


東日本大震災では、いろいろな流通網、生産現場で物が動かず、首都圏でもスーパーの棚に商品がないということが起きました。

阪神淡路の時は、直下型で津波は起きず、被害もピンポイントと言っていいほどの範囲でしたので、東日本ほどの騒ぎにはなっていません。

でも、あのときの異様な雰囲気。ハローワークに行くまでの道がいつもと変わらないはずなのに、一気に風景が変わったように感じました。心象が変わったということなのでしょう。

一生忘れることはないと思います。




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よく頑張った。 [悼み]

昨年秋に脳転移が見つかって闘病生活を送っていた友人が、月曜日の朝、この世を去った。

危篤の知らせを受けて、その前日に仲のよかった友達2人と彼女を見舞い、混濁はしていたがかろうじて意識があったことで少し話をすることができた。でも、さすがに呼吸困難に陥っていて辛そうだった。

結局、その日の午後に鎮静させることになったようで、そのまま翌日の朝、息を引き取ったという。

最期まで強がりだった。酸素吸入も強い痛み止めも拒否。担当医がそれらを施そうとすると「しつこい!」だの、「ばか!」だの、「やめて!」だの言って手こずらせていた。

とても苦しそうだった。強い痛みもあるはずなのに。

だけど医師も「彼女を気持ちを尊重したいんだよね」と、なかなか鎮静させられないようでいた。



昨年末に会ったときは、「何言ってんの? 私は大丈夫だよ!」と元気であることをアピールする、ばっちりとお化粧をし、華やかなアクセサリーをつけた彼女がいた。

本当は杖をついて歩かなくてはならないほどだったのに、みんなの前では杖をしまいこんで一緒に歩いていた。

このとき、彼女は同じ病気で他界した私の母のことを聞きたいと言っていたのだけど、同席していた友人たちの手前、言い出せなかったようで、結局話せずじまいだった。

あとでその後の彼女の様子を聞けば、やはり母がターミナルの期間をどのように過ごしていたか聞きたかったようだ。残された時間をどう過ごすか考えたかったのだと思う。



ホスピスに入りたいようなことを言っていたらしい。

実家はあったけれど、両親はすでに他界していて、そこにはお兄さん家族が暮らしていた。そのために「実家には帰れない。お兄さんの世話にはなれない」と考えていたようだった。

一人で何とかしようと考えていたんだ。



人に弱いところを見せたくなかったのだと思う。闘病のことも話したくなかったのだろう。街で見かけても、こそこそと逃げていくような感じだった。知られたくなかったんだ。






今回の、最後になってしまった入院も、家族と唯一心を許していた後輩にしか知らせず、危篤となったときにようやく後輩の女性が彼女の携帯電話を使って連絡をしてくれたのだった。そして面会ができた。

昨年の暮れは「会っておいたほうがいいと思うよ」と言ってくれた友達のお蔭で会うことができたし、後輩の女性も気を利かせて連絡をくれて……。

辛そうな姿だったけれど、会えてよかったと思う。



葬儀も本人の意向でひっそりと執り行うことになった。

家族と後輩の彼女と私たち友達数人。誰にも知らせないでほしいとも言われた。

多くの同級生の友人たちに見送られてもいいのではないかと思うが、仲のよかった人だけと思う彼女の気持ちもわからなくはない。


数日後に一日だけの葬儀が行われる。寂しくなるけれど、「よく頑張った」と彼女を褒めてあげたい。労ってあげたい。




今頃は、お父さん、お母さん、そして可愛がってたボブに会っているだろうね。


ありがとう。またいつか会おう。
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(葬儀が終わったので、再投稿です。)

Yさん [悼み]

弾丸ツアー話といきたいところですが。



小学校の高学年のときに同級生だったYさんの訃報が、今週の頭に飛び込んできました。

私は転校生だったので同級生だった時期というのは1年半ほどで、その後同じ中学校に進みましたが、一度も同じクラスになったことはなく、ほとんど全くと言っていいほど付き合いのない人でした。

夫T君の携帯にメールが来てこの訃報に接したのですが、T君も転校生で中学の途中から同窓生となっています。聞けば、中学一年生で転校してきたときにYさんとは同じクラスだったらしく……。

それにしてもT君の連絡網はすごい(笑)

同性である私のほうに知り合いがいそうなものなのに、彼女の訃報に関するメールは一通も来ず、電話もかかってきません。

まあ、全く付き合いがなかったので当然といえば当然ですが、思うに男子のほうが、実はそういう繋がりを欲しているのかもしれないとほんのりと感じたりしました。




それはさておき、Yさんのこと。

結婚しているのかも、子どもがいるのかも知りません。

どうして亡くなったのか、急逝だったのかも、初めはわかりませんでした。



その後、T君の連絡網から知ったことですが、大腸がんで4年ほど闘病していたということを聞きました。






その彼女の思い出といえば、ドッジボールです。

彼女はとにかく強い球を投げることができて、ドッジボールのコート内では敵なしというような存在でした。

ずっと地元で生まれ育っていましたから、小学生時代はスクールカーストでいうところの上位に位置する女の子でした。

その頃、一番と言っていいほど人気があったんじゃないかなあ。

小学校を卒業してから彼女の記憶は全くなく、もしかしたらバレーボール部に入っていたかもしれません。でも、それも定かではなく……。

中学校に上がってみて、あれだけ人気があったのだから中心的存在になるのかと思いきや、私のなかでは本当に申し訳ないのですが、印象が薄く、記憶にも残っていないという…。

要するに付き合いがなかったから、ということなんだろうと思います。


それよりも、小学生時代の人気があった彼女の印象が強くて、元気で活発な子だった彼女の姿を思い出すのです。






何も連絡がないということもありますが、事実として付き合いがなかったので葬儀に参列する予定はありません。






こんなとき私にできることは、小学生時代の彼女の姿を思い出すことぐらいだろうと思っています。


彼女の元気だった小学生時代を思い出して追悼しようと思います。






Yさん、安らかに。お疲れ様。
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阪神淡路大震災から18年。 [悼み]

今年も阪神淡路大震災が起きた日がやってきた。

あれから18年。

絶対に忘れてはいけない。

横倒しになった高速道路。

動けなくなった電車、損壊した駅舎。

潰れた神社。

火災が起きた商店街。

液状化した人工島。

止まった電気・水道・ガス。

住宅を失った人々。

圧死してしまった人々。

焼死してしまった人々。

http://gigazine.net/news/20090117_great_hanshin_awaji_earthquake/

命を落としてしまわれた方々のご冥福をお祈りいたします。
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9月になると [悼み]

一昨日、義父の7回忌の法事のために、群馬まで行ってきました。

変な天候で、どしゃ降りになったり、快晴になったり。

当初参加予定だった義父の妹である叔母さんが体調を崩し、急きょ不参加になったり、慌ただしい雰囲気ではありましたが、内々の法事でしたので何を気にすることもなく、つつがなく終えました。

お墓参りのときには雨が上がり、濡れることなく済んでよかったです。

義母や義兄夫婦はそこで一泊しましたが、夫T君と私は猫のTBちゃんがいるので日帰りで退散。

義兄夫婦はよくやってくれています。

だけど、私自身は義母や義兄夫婦が苦手なために、T君には申し訳ないのですが、なるべく付き合わなければならない時間を減らしてもらうと。

せっかくの肉親なのですからと思うものの、こうもうまくいかないことがあるのかと思って早20年。

ともあれ義父の法事だけでも、ちゃんと参加することができてよかったと思っております、はい。





昨日はこぎんさんがこの世を去った日でした。一年、あっという間でしたね。

こぎんさんの病気のことを知って、奇跡が起こることを祈っていましたが、それも叶わず、発病からもあっという間の出来事のように、疾風のごとく、こぎんさんは逝ってしまわれました。

開いてしまった穴は大きかった。

いまごろどうしているのかなあ、と思います。

好きな花々に囲まれて、ミミちゃんやファーちゃんと一緒にいるのかなあ。

好きな音楽も聞いているのかな。面白いものを見つけているかな。


そんなことを考えてしまいます。



急な病気や事故などで命を奪われてしまうことが起こりうるんだと思うとき、ちゃんと悔いのないように生きなくてはと思うのですが、なかなかずぼらな人間には難しいようです。

私はいったい何がしたいんだったかなあ。





今月は法事が続きます。

今度は大阪まで行ってきます。


供養ができる間は、きちんと行わなくてはと思っております。



心で思うだけでもいいとは思っているけれどね…。
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