So-net無料ブログ作成

こんな本を読んだ [本の感想]


結婚差別の社会学

結婚差別の社会学

  • 作者: 齋藤 直子
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2017/05/27
  • メディア: 単行本


同和問題、差別については、私はかなり疎いと思う。

初めて同和問題に向き合ったのは、社会人になったばかりの頃だった。大手企業に就職したからか、そこで同和問題の勉強会があり、詳しく知ったような具合だ。いわゆる人権教育の一つなのだと思うが、生命保険会社の事務員であったからそういう事例に出合う可能性も高く、勉強会が設置されていたのだと思う。

つまり、保険を売るという企業であるから、売るお客様にもそういう人権問題にかかわる人もいるであろう。そうした場合、差別意識を持つようなことがあってはならないということを後に私は理解した。

また保険をセールスしていた女性たちのなかにも、当てはまる人がいたかもしれない。全く気にはしなかったが、実にいろいろな人がいて、興味深い企業だった。

それはさておき、以前にも記したことがあると思うが、結婚をすると決めたときに、夫T君の祖母に「戸籍謄本をくれ」と言われた。私はそのとき「なんで?」と思ったが、「父が他界していること、姉がバツイチであったことが問題になるのかな?」くらいの意識で、不審に思いつつも(何となく気分はよくないまま)、戸籍謄本を取り寄せてT君に渡した。

T君いわく、「祖母は古い人だからだと思う。昔は戸籍謄本に身分が記されていたから、それが見たいと思ったのではないか」。実際はそんなことが記されている戸籍など、いまはないわけで何もわからない。頭のなかを疑問符がぐるぐると回った。

そしてあれから30年近くなるのだが、この本を読んで「あ!」と気づいた点があった。「住所」だ。

住所で同和地区(いわゆる部落)がわかるというもの。これも私自身は全く気にしたこともなかったし、だからどうした、だ。でも住所でわかってしまうんだ。いまなどはネットで検索するとすぐにわかるという……。

これに気づき、唸ってしまった。

確か神奈川県下にガラの悪いところはある。横浜でも寿町(ドヤ街)のあたりは確かに怖い。なんともいえない空気がいまも漂っている。ただここはいわゆる同和地区ではないと思う。

調べてみれば、あちこちに点在していて、「そうだったのか」といまさらながらいろいろなことを知ることになった。

果たして、T君の祖母はうちの本籍地を見て何かを知ったのだろうか。いや知る由もない。関西の人だったから、関東のことはわからなかったと思う。(だいたいいまは本籍地を簡単に変えることはできる)。

私の出身地は京浜工業地帯に近く、生まれたときから父が働いていた会社の社宅に住んでいた。京浜工業地帯で調べてみれば、そのなかに同和地区はある。

幼少期を思い出すと、回りに貧しい(と思われる)いくつかの家庭はあった。お父さんが暴力団員だという女の子もいた。知的障害の子もいた。いまでは覆い隠されているような人や所がかなりいたし、あったことを思い出す。

高度成長期とはいえ、まだ戦後が色濃く残っていた時代だ。傷痍軍人もいたし、乞食(いまは何と言ったらいいんだろう。浮浪者?)もいた。とにかくいろいろな人がいた。

そういう人たちを見て、両親は差別的なことを全く言わなかったし、むしろ弱い人は助けなくてはいけないと、余計なことをするような人たちだった。

そのために、比較的身近に同和地区があったにもかかわらず、私は何も考えずに普通にしていた。差別なんていうことすら考えもしなかった。ああ、貧しいのかなあと漠然と認識する程度。

いまとなっては、本当に貧しかったんだと思う。一間のアパートでぎゅうぎゅうに家族で住んでいる家庭もあった。まだまだ貧しい時代だった。

そう、だからといってその本籍地を見て、T君の祖母はどう思ったのだろう。同和地区ではないということがわかればよかっただけなのだろうか。それを知ったからといって何か変わったのだろうか。いまだにその差別意識がわからない。

そもそも私は、「なぜ差別をするのか」がわかっていない。なぜ同和地区に生まれ育った人が差別されなくてはいけないのか、がわかっていない。

歴史を紐解けば、しょうもないことがもとであるということがわかる。人の勝手な妄想と言ってもいい。自分と違う人間を差別することで、優位に立とうとすることがその発現だと思う。それがエタ、ヒニンという身分制度を生み、そういう人々を隔離する地域ができていったということだ。自ら隔離された場所に流れ着いた人もいると思うが、それは差別があって、身分制度があってのこと。

もうね、しょうもないと思う。情けない。

で、読んだ本に戻る。いまだに結婚差別があるという。その差別される内容を具体的な例を挙げて分析している。最終的には、どうしたら差別されないか、部落差別をしないようにするにはどうしたらいいかと考えさせられるものになっている。

部落の人と、部落外の人との結婚を「通婚」ということを、この本を読んで初めて知った。

読んでからふと思ったことは「通婚」という言葉自体を知ることが、実に差別的であるのではないかということ。言葉を知れば知るほど、自分が差別的になってしまうのではないかというおそれが頭に浮かんだ。

同和という言葉も、同和地区という場所があるということも、部落という言葉も……。

それを知って区別すること自体が、差別なのではないかと思った。

知らなければ差別することもない。なんだか不思議だな、と思う程度で終わっただろう。でも知ってしまったら、どのように自分のなかでそれを消化すればいいのか。

ものすごく難しい。



私が10歳のときに、父が他界してから、父の実家とは縁を切った状態だった。父方の祖母と母の折り合いが悪く、母はもう絶対に付き合いたくないと思っていたようだった。

なので、私は父の家族、親戚にどのような人がいるのか知らないでいた。唯一知っていたのは、父の弟家族くらい。その弟家族は父の実家を継いで、いまもその場所で暮らしている。

母と折り合いが悪かった祖母がこの世を去ったとき、父の代襲相続ということで、父の弟がやってきた。「相続を放棄してほしい」と。私は全く父の実家との付き合いはなかったから、それは当然だと思いさっさと放棄をしたが、そのときに聞いた話だ。

父の姉の連れ合いは朝鮮の人であったと。そしてその娘は北朝鮮に渡っているということだった。

やはり土地柄(同様に京浜工業地帯が近かった)、いまではコリアンタウンという場所があるくらいなのだから、朝鮮の人と知り合う機会は多かったのかもしれない。

しかしその時代に、国の違う人と結婚をするということは、大変だったのではないかと想像する。差別もあっただろうなあと。伯母の連れ合いも相当葛藤があったらしいが、従姉であるその娘も非常に葛藤していたということを聞いた。祖国はどこなのかということを。そのために、朝鮮にかかわる活動や運動に参加し、そのうちに北朝鮮に渡ってしまったということだった。

このことを聞いたときに思ったのはひとつ。T君の祖母が聞いたらどう思ったのだろうか、ということ。

もっとも、このことはT君の両親にも話はしていない。言う必要もないと思うし、聞かれもしない事柄だ。私自身には関係のないことだが、人によっては関係ないと位置づけられないこともあるかもしれないけれど、どうだっていいなと思う。

ただ、この本を読んだときに、結婚する前にこのことを知っていたら、うっすらとした差別という意味合いで、T君の家族からは結婚を反対された可能性はあったと感じる。

この本のなかでも、「部落の人と結婚するということを親戚には言わないでくれ」という両親がいたり、「あなたが部落の人と結婚することで、あなたの親戚も差別される」という親がいたり、つまり、部落の人だったり、差別される人との結婚は、親戚にも影響を与えるからやめてくれという二次的な差別があるということが記されていた。

ということは、朝鮮の人と結婚した親戚がいる、北朝鮮に渡った親戚がいるということで、二次的な差別をされていた可能性もあったかなあと感じるのだ。



おそらくこの話は、叔父は隠していようと思っていたのではないかと思う。

でも、母は父の親戚を知っているのだから聞いたまでのことで、聞かれれば叔父も応えようというもの。だから私も聞いてしまったし、叔父も話してしまったわけだ。本当は話したくなかったのだろうが。

あまり公言しないほうがいいとも言っていた。それを聞いて、叔父家族のこれまでの苦労が見て取れた。

そんなものなのかな。仕方がないかな。無視するのに限るかな。私はそう思った。

T君にはこのことを話したけれど、ふ~ん、という感じだった。





今年の夏に「東京都の小池百合子知事が、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を慰霊する9月1日の式典への追悼文送付を取りやめた」という報道に接した。

この報道も唸るしかなかった。

日本人による朝鮮人への差別で生まれた虐殺があったことに対して、追悼をしないということだった。

ものすごく複雑な気持ちになった。

もし、父の姉のように朝鮮人と結婚をし、この場にいたら差別を受け殺されていたのかもしれない。反対にデマに翻弄され、朝鮮人というだけで虐殺に手を貸していたかもしれない。考えるだけでも恐ろしい事件。

日本に暮らす朝鮮人を差別していいわけがない。ましてや虐殺するなんて。

小池百合子都知事は、それを追悼しなかった。東京都の行政の長なのだから、形だけでも追悼すべきを、しないと決めた背景を考えると、実に末恐ろしく感じる。





日本ってどうなってしまうのでしょうね。

この一冊の本で、さまざまなことを考えさせられました。


私自身はリベラルだと思うし、差別を忌み嫌っています。でもいまの世は、リベラルが嫌われているようですし、差別をしたいと考えている人が表立ってきているように思います。

面白おかしく取り上げる人も。

もう少し真剣に人としての尊厳を考えてほしい。私も考えていきたいと思いました。







お金があって、権力がある人が何をやってもいいというわけではないのにね。国民が主権者なのになあ。
あ~あ、やんなっちゃった。



おしまい。

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。